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福岡高等裁判所 昭和54年(う)201号 判決

本籍

大分県大野郡大野町大字田中二七九八番地

住居

大分市大字古国府七九三番地

食料雑貨品販売業

山崎勝登

昭和三年三月二九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年二月九日大分地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官中野勇夫出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人椛島敏雅提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一事実誤認の論旨について

所論は要するに、原判決は本件当時被告人の所有でなかった二、三の土地を被告人が自己の所有として処分し所得を得た旨認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるというのである。そこで所論指摘の各土地につき順次判断する。

一、 大分市大字志村字谷ケ迫二二〇番(原判決別紙(1)土地売上欄の〈3〉)の土地について

所論は要するに、右土地の登記簿謄本、中島学の大蔵事務官に対する各質問てん末書、被告人の原審における供述によれば、右土地が中島学から岩崎貢に直接売り渡されたことは明らかであるのに、原判決が信用性に欠ける被告人の大蔵事務官に対する昭和四五年一一月一一日付、同年一二月二日付各質問てん末書及び検察官に対する昭和四七年二月二六日付供述調書並びに原審証人神田清海の供述により、被告人が右土地を中島学から買い受けた旨認定したのは誤りであるというのである。

よって案ずるに、被告人の大蔵事務官に対する右質問てん末書及び検察官に対する右供述書、原審証人神田清海の供述、中島学の大蔵事務官に対する昭和四五年一一月一六日付、同四七年二月二二日付各質問てん末書(後記措信しない部分を除く)、関係土地の登記簿謄本によれば、被告人は昭和四一年七月ころ大分市大字中島(その後同市中島中央三丁目と町名変更)五六一二番地の宅地一五〇・二三坪を取得し、同地上に建物を建築してスーパーマーケットを経営していたが、同四二年五月一五日右土地及び建物を、知合いの中島学に頼んで同人が代表取締役をしている拓成土地株式会社(その後拓成土木株式会社と名称を変更)が昭和三八年二月ころ磯谷隼人から買い受けながら所有権移転登記をしていなかった大分市大字志村字谷ケ迫二二〇番地の山林四反九セ三歩と等価(評価一七六六万三四〇〇円)で交換したこと、当時被告人は学校法人南九州学園及び右スーパーマーケット経営の関係で多額の負債があったので、債権者の追及を免れるためと右負債の一部を岩崎貢に支払いしてもらっていたこと等から右大字中島の宅地の登記簿上の所有名義を便宜的に岩崎貢としていたため、右土地と交換した大字志村についても昭和四二年六月六日受付で同三八年二月一一日の売買を原因として磯谷隼人から岩崎貢に所有権が移転した旨の登記をしたが、右土地は右交換ににより被告人の所有となつたものでそのことは右岩崎も了解していたことが認められる。

所論は、被告人の大蔵事務官に対する右各質問てん末書は、被告人が妻との離婚話や病気等で精神的に不安定な状況にあったとき作成されたもので信用性に欠けるところがあり、また右質問てん末書に基づき理づめの誘導により作成された検察官に対する右供述調書も措置できない。更に原審証人神田清海の供述は、同人が昭和四三年以降脳出血で三回倒れて脳軟化症となり本件当事の状況を記憶しておらず、検察官の一方的誘導により供述したものであるから倒底信用できないというので案ずるに、神田清海が昭和四三年ころ脳出血で倒れ脳軟化症となって本件当時の記憶が薄れていたことは所論指摘のとおりであるが、原審公判廷においては、押収してある手帳一冊(同人作成のもので詳細の記入がなされている)、約束手形控一綴、手形記入帳二冊(当庁昭和五五年押第四号の1、2、3の1、2)等を示されて記憶を喚起し、右各証拠に基づいて本件当時岩崎貢が被告人から買い受けた土地の売買交渉の経緯、代金支払の方法、被告人に対する融資の状況等を三回にわたる公判期日において具体的かつ詳細に供述しており、弁護人の反対尋問を経ているので十分措信できる。また被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書は合計一七通、二〇三枚に及ぶもので領収証、売買契約書、普通預金元帳、約束手形等の関係各資料に基づいて、昭和四三年度に被告人が取扱った土地の売買、土地売買の仲介、代金支払の方法とその資金ぐり、家賃その他不動産所得、譲渡所得等について具体的な供述をしているだけでなく、資産取得状況その他については別表二七枚を作成していること、その内容は右関係資料と殆んど符合しており、一部違う部分については被告人なりの説明がなされていること、更に被告人は検察官に対する供述調書三通において、その経歴、本件犯行の動機、昭和四三年度の各所得の具体的内容につき詳細な供述をなし、所得税ほ脱の方法を自供していることが認められるので、右各質問てん末書及び供述調書はいずれも十分これを措信することができる。右各調書等のうち所論指摘の三通だけが特に捜査官の誘導によるもので措信できないとするのは是認できない。

被告人の原審及び当審における各供述並びに中島学の大蔵事務官に対する各質問てん末書中前段認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できない。論旨は理由がない。

二、 大分市大字羽屋字小僧淵七三四番一(原判決別紙(1)土地売上欄〈3〉)の土地について

所論は要するに、被告人は岩崎貢の政治資金捻出のため同人に担保としてこれを提供する目的で、当時被告人が知合いの丹波正雄から取得した右土地を岩崎貢、泰也親子名義に所有権移転登記したものであって、岩崎貢から対価など得ていない。しかるに原判決が被告人において右土地を丹波正雄から取得し、これを前記一の大字志村字谷ケ迫二二〇番の土地と共に岩崎貢に売却したと認定したのは誤りであるというのである。

しかしながら、中島学(昭和四五年一一月一六日付)及び岩崎貢の大蔵事務官に対する各質問てん末書、原審証人丹波正雄の供述、被告人の大蔵事務官に対する同年一一月一一日付、同年一二月二日付、同四六年八月一〇日付、同月一一日付各質問てん末書、押収してある手帳一冊(丹波正雄作成)、山林売買契約書二通(前同押号の6、14、15)によれば、被告人は昭和四一年ころから丹波正雄のため土地売買の仲介をしていたが、同四二年末ころには同人から土地買入代金として預った金及び借入金が合計約一、〇〇〇万円に達しその返済を求められたので、昭和四三年二月二一日同人所有の大分市大字古国府字新田一〇四七番一、同市大字高瀬字川原二〇二番、同市大字羽屋字小僧淵七三四番一の各土地三筆(評価八一七万八、〇〇〇円)を被告人が同年一月一〇日及び同月一七日に中島学から買い受けた拓成土地株式会社所有の大分市大字神崎字ウバケ所一一二四番一一外一二筆の山林及び同人の妻中島竹子所有の同所一一二四番一〇外一筆の山林と交換し、右山林一五筆と前記土地三筆との価格差金をもって前記約一、〇〇〇万円の債務と相殺したこと、丹波は被告人から取得する右山林の坪価はよくわからなかったが、被告人に対する右債権の決済ためならと右交換に応じたことが認められ更に右各証拠に原審証人神田清海、同提与の各供述、押収してある前記神田清海作成の手帳、約束手形控、手形記入帳のほか証書貸付金元帳、手形貸付金元帳、約束手形二綴(前同押号の4、5、26、27)関係土地の登記簿謄本によれば、被告人は大分県政界の長老であった岩崎貢の私設秘書として早くから同人のため尽力し、その選挙資金として四〇〇万円を同人に貸与したこともあったがその反面前記スーパーマーケットの建築資金その他で府内信用金庫に対し負担していた九五五万一、四三八円の債務を岩崎に代払いしてもらったほか、右選挙資金四〇〇万円を差引いてもなお六二〇万円の債務を同人に対し負担していたので、これらの債務を決済するため前記丹波との土地交換と同じ日に岩崎に対し右大字羽屋字小僧淵の土地及び前記一の大字志村字谷ケ迫二二〇番の土地を合計二、四七五万一、四三八円で売り渡し、その代金はその一部を右各債務と相殺し、残りの九〇〇万円を岩崎振出の同額の約束手形で支払を受けたこと、なお右大字羽屋字小僧淵の土地については当時地目畑のため丹波名義で所有権移転請求権の登記がなされていたので、同人から岩崎貢、ヤヱ、泰也にこれを譲渡する旨の登記をしたが、その後岩崎貢は株式会社菅組から一、五〇〇万円の融資を受けるに際し右土地を担保として提供し、同会社に右所有権移転請求権を譲渡し、更にその返済にかえて同会社に所有権移転登記(地目を雑種地と変更のうえ)したことが認められる。以上の各事実によれば、被告人が大分市大字羽屋字小僧淵七三四番一の土地を丹波正雄から取得し、これを同市大字志村字谷ケ迫二二〇番の土地と共に岩崎貢に売渡したことは明らかである。論旨は理由がない。

三、 大分県大字鴛野字登立八三一番外四筆(原判決別紙(1)土地売上欄〈2〉)の土地について

所論は要するに、右土地は岩崎貢が増田英一から買い受けたものであるのに、原判決が被告人において右土地を増田から買い受け、これを岩崎に売却したと認定したのは誤りであるというのである。

しかしながら、中島学(昭和四五年一一月一六日付)及び増田英一の大蔵事務官に対する各質問てん末書、原審証人神田清海の供述、被告人の大蔵事務官に対する同年一一月一一日付同年一二月二日付、同四六年八月一〇日付各質問てん末書、押収してある前記手帳(神田清海作成のもの)、約束手形控及び山林売買契約書一通(前同押号の16)、関係土地の登記簿謄本によれば、被告人は昭和四二年暮ころかねて取引のあつた増田英一から同人所有の大分市大字古国府字下新田九五二番外一五筆、同市大字鴛野字登立八三一番外二筆、同大字向八三三番外一筆の売却方を依頼されたので、同四三年三月八日中島学から中島竹子所有の大分郡挾間町大字高崎字タシロヲ九三番外四筆、同大字ウシロ四五二番一外三筆、同大字コエトヲ五三一番の各土地を六〇〇万円で買い受けたうえ、その頃右増田に対し「私の所有する銭瓶峠付近の山林を大分バスに売ることになっているが、自分の名前を出せないのであなたの山林として売らせてほしい。そうすれば現金三、〇〇〇万円をあなたに支払うことができるので、残り六〇〇万円は手形で支払うことにしてあなたの土地の処分を一切私に任せてほしい」旨申し向け同人所有の右土地と被告人所有の右土地の交換につき同人の承諾を得、同人から委任状、印鑑証明、右各土地の権利書等の交付を受けたのを幸に、被告人所有の右一〇筆の土地を増田に所有権移転登記すると同時に、同人所有の右二二筆の土地を自己の所有とし(但し大字古国府字下新田の各土地については中島学名義で所有権移転請求権保全の仮登記をしたうえ、自己に右所有権移転請求権の移転登記をしたが、大字鴛野の各土地については未登記)、直ちに右大字鴛野の土地五筆を岩崎貢に対し一、一九〇万円で売り渡したが、その代金のうち六〇〇万円については同人から増田宛の約束手形五枚(額面合計六〇〇万円)を振出してもらい、これを増田に同人に対する右売買代金の一部として支払ったことが認められる。以上の事実によれば、被告人は増田から同人所有の大字鴛野の土地五筆を取得したうえこれを岩崎貢に売り渡したことは明らかである。

所論は、大字鴛野の土地五筆は岩崎が増田から直接買い受けたものである旨主張し、被告人の原審における各供述及び首藤アサヱの大蔵事務官に対する質問てん末書中には右主張に添う部分もあるが、前掲各証拠に照らしたらしく措信できない。論旨は理由がない。

第二量刑不当の論旨について

所論に鑑み記録を精査し当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、被告人は昭和四一年ころから大分市内においてスーパーマーケット、食堂、モーテル、ショッピングセンター、旅館等を経営していたが、その外に不動産の売買、仲介なども行ないかなりの収入を得ており、昭和四三年分の所得金額は三、九三一万一、七六六円であり、これに対する税額は二、一三〇万七、二〇〇円であったのに、昭和四四年三一九日、昭和四三年度の所得税の確定申告をするに際し、同年分の所得金額として右ショッピングセンターの事業所得金額四一万四、〇〇〇円(所得税額は〇円)のみを記入した確定申告書を作成してこれを大分税務署長に提出し、食堂、モーテル等の事業所得及び不動産の売買、仲介による所得その他を申告せず、同年分の所得税二、一三〇万七、二〇〇円をほ脱したものであり、本件犯行の動機、態様、犯行後の犯情等に照らし被告人の刑責を軽視することはできず、所論指摘の被告人が岩崎貢の私設秘書として同人に尽し、同人の死後残された同人の負債を整理していること、その家庭の事情等被告人に有利な事情を斟酌しても被告人を懲役六月(二年間の執行猶予)及び罰金五〇〇万円に処した原判決の量刑は相当であってこれが重きに失し不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については同法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安仁屋賢精 裁判官 徳松巌 裁判官 斉藤精一)

○昭和五四年(う)第二〇一号

控訴趣意書

被告人 山崎勝登

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は次の通りである。

昭和五四年一二月一日

弁護人 椛島敏雅

福岡高等裁判所第二刑事部 御中

第一 原判決は、「被告人を懲役六月及び罰金五〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」との判示をしたが、これは、以下の理由により判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。

即ち、被告人の昭和四三年度中の所得のうち、その大物分は雑所得、土地売上による所得であるが、原判決は、当時被告人の所有に帰していない(被告人において処分しえない)土地を被告人が処分し所得を得た旨、判示している点が二、三ある。

まずはじめに、原判決土地売上一欄表の〈3〉の「大分市大字志村字谷ケ迫二二〇番の土地」である。

原判決は、被告人の大蔵事務官に対する昭和四五年一一月一一日付同一二月二日付各質問てん末書及び検察官に対する昭和四七年二月二六日付供述調書並びに証人神田清海の証言により、右土地が被告人の所有であった旨認定しているが、昭和四五年から四七年にかけて、被告人は妻との離婚話がもち上ったり、病気がちなどのこともあって精神的にも非常に不安定な状況にあったことなどからして、右各質問てん末書を措信することはできない。また、右検面調書も先に作成された質問てん末書等を基礎に理づめの誘導により作成されたものであって同様である。更に、証人神田清海の証言については、同人は昭和四三年に脳出血で倒れて以来公判廷での証言当時まで同じ疾病で三回倒れるなどで脳軟化症をわずらっていたものである。神田証人は、証言の際殆ど当時の状況を記憶しておらず、書類をもとに供述しているのであり、しかもその供述も検察官の一方的誘導によりとられている。その上、被告人に対しては強い敵がい心を有していた者であることなどを考えると、これもまた軽信することはできないというべきである。

むしろ、被一号の登記簿謄本や中島学の大蔵事務官の各質問てん末書、被告人の公判廷での供述によると右土地は岩崎貢の所有に帰していたことが明らかである。

原判決は、被告人が登記名義のみを、岩崎貢に移していた旨も認定しているが、当時の被告人と岩崎との関係を考慮しても岩崎は大分県政界に穏然たる勢力をもっていた大物であったことなどを考えると、一凡人であった被告人が岩崎に対して自己の債務の支払いを免れるために一時岩崎名義を利用するといった程の影響力をもっていたなどとは到来考えられず、右認定は合理性を欠くといわざるを得ない。

次に土地売上欄表〈3〉の関係で「大分市大字羽屋字小僧淵七三四番一の土地」について述べる。

原判決はこの点について、神田清海の手帳により、被告人が羽波正雄から取得して「大分市大字志村字谷ケ迫二二〇番の土地」と一緒に岩崎に売却した旨認定している。しかし、検一二八号によると被告人は右土地を丹波から取得すると同時に岩崎貢、泰也親子名義に移転登記しているのであるが、昭和四二年に大分県議会議員選挙があり、これに岩崎貢の長男泰也が立候補して落選したことや岩崎貢本人の政治資金が欠乏していたことなどがあって、その資金捻出の必要があったために、被告人は丹波から取得した右土地を岩崎のためと思い、担保に供し利用させたものであることが認められるのであって、被告人において岩崎から対価など得ていないのである(被告人の公判廷での供述部分)。岩崎は、右土地を担保として利用して提興より五〇〇万円の融資を受けたのである。提興は現在も五〇〇万円の貸金を岩崎に対して有しているのである。

更に、判示雑所得中(1)土地売上〈2〉の大分市鴛野の五筆の各土地について、被告人が増田より取得して売却した旨判示しているが、押検二二号の二によると岩崎貢が増田に対して額面六〇〇万円の手形を振出し、その六〇〇万円の手形金額を増田が受領していること、更に首藤アサヱの大蔵事務官に対する質問てん末書、符号1の手帳記載部分、第二六回公判調書中の被告人の供述部分によると、右鴛野の五筆の土地は岩崎が増田より直接取得していることが認定されるのであって原判示の認定には事実誤認があるといわざるを得ない。

第二 以上記載の事実誤認を控除した取得ほ脱額及び次の事情を考慮するとき、原判示の「被告人を懲役六月及び罰金五〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」との判決は量刑不当であって破棄されざるを得ない。

即ち、被告人は昭和三二年岩崎貢の私設秘書となって以来同人の政治的活動を物心両面で支えてきた者である。岩崎は昭和三四年と三八年の二回の知事選に保守系候補として立候補したが、いずれも落選し後に多額の借財が残じた。更に加えて、昭和四三年頃の岩崎家の負債はふくらむ一方であった。被告人は、このような岩崎の境遇に思いをいたし、また、心酔していた岩崎に今一度、大分県政で活躍してもらいたいとの一心で献身的に尽してきたものである。その岩崎が亡くなった後に、莫大な負債が残ったのであるが、岩崎の相続人らは限定承認により負債から免れた。ところが被告人は岩崎の負った負債をかぶり現在それを支払う目度もたっていないのである。本件の所得のうち、その大部分は岩崎の政治資金等に流れていたものである。

これらを考えるとき、一人被告人にのみ所得税ほ脱の責任を負わせるのが妥当であろうか。弁護人は極めて疑問に思うものである。

以上

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